面白山高原〜天童高原キャンプ場

日曜日にふと思い立って午後から面白山付近を散策してみることとした。
まずは仙石線で仙台駅まで移動。仙台駅からは仙山線で面白山高原駅に
面白山高原駅を降りると澄んだ空気が感じられ、周りは森で囲まれており深い山の中にいることが実感できた。

橋の上から見下ろすと、鉄道の架線の横が渓谷となっており、奥の方に滝が流れる様子も見られた。


しばらく歩くと登山道への分岐があり、そちらへ進んだ。登山道はとても茂みの深いところが多く、歩きずらいところも多かった。茂みをかき分けて進み、1時間弱ほど歩くと開けたところに出た。天童高原だ。


天童高原はスキー場も併設してることもあって草原が広がっており、キャンプ場の料金も安く、キャンプする上ではかなり良さそうだ。シャワーは簡易的なもので、風呂などは併設されていないのは残念だが難点としてはそれくらいだろう。
また、併設している売店では軽食を売っているようだが行った時間が遅く店が閉まっていた。やっていたらソフトクリームかポテトを食べていたと思う。その後は舗装路を通って面白山高原駅まで帰ってきた。途中時間が足りないことに気づき、最後は1.5km程度走ることとなったが、無事に間に合い16時40分に面白山高原駅に到着。
そのまま16時41分発の仙台行きに乗車した。

沖縄旅行

沖縄に行くのは今年で2回目だ。社会人になってからは忙しくなるのであまり旅行には行かなくなるかもしれないとは思っていたが実際には休みを取って3連休にして旅行に行っている。沖縄は同じ日本とは思えないくらい生態系も街の雰囲気も違ったりするので本州の田舎を巡るより個人的には楽しい。冬場は本土との気温差も高く、冬〜春の沖縄の方が別天地にきた感覚は強い。ついでに飛行機代もホテル代もオフシーズンのため安く抑えられることも魅力的だ。

今回は金曜日を休みにした上で2泊3日で友人と沖縄本島に行った。仙台ー那覇便は夏は人気路線で直前にとったこともあって飛行機代は高くついてしまった。2時間かけて自宅から仙台まで急ぎ目で向かい、仙台空港では保安検査場を30分前くらいに通過。搭乗口前で仙台在住の友人Gと合流した。ANA便には久しぶりに乗ったが座席前に着いているモニターで最近の映画も見れる(しかも画質は悪くない)様だったので、行き帰りですずめの戸締りをみていた。那覇空港に着いたらまずは車を借りて、シェーキーズでご飯を食べた後空港に戻り、秋田、山形から来た友人K、Aと続けて合流した。それから沖縄で研修していたYが浦添付近で待っていたので、そこで合流。そのまま恩納村のホテル近くまで行き、地元の居酒屋で夕食を食べた。その後ホテルでチェックイン。割と新しめのホテルで、客室も豪華だった。

2日目は午前中、だらだらと客室で過ごしてスマブラしたりしたらKに折角沖縄に来たのにもったいなくね!って言われ、昼くらいからビーチに出かけた。残波岬で普通に海水浴したり、ボートに乗って競争したり、海の生き物の観察をしたり悠々と思いのままに過ごしていた。海に浮かんでゆらゆらしている時間は至福のひと時だった。

その後ホテルに戻り、プールで遊んだりしているうちに夕方になったので、その後はアメリカンビレッジにでかけた。日本に居ながら異国情緒を味わえるところで色々店を物色したあとはバーガー屋で夕食を食べた。

僕の住んでいた街にもバーガーハーツという素敵な店があったなあと思い出しつつ、何を食べて、話したかも忘れてしまったが楽しいひと時を過ごした。帰り際に路上で演奏していたダイナミック琉球という初めて聴いた素晴らしい曲に聴き入ってしまった。帰ったあと客室でボードゲームをしたかったが、すでに疲れていたためすぐに寝てしまった様な気がする。

3日目は帰るだけだったがKが早めに帰らないといけなかったため、ホテルを出るとすぐに那覇空港に向かった。道中しきりに時間を気にしているKは面白かったが、遅れたら洒落にならないのは確かだった。もちろん、無事に間に合い、その後はレンタカーを返した後そのまま空港に戻り、沖縄そばを食べたあと、Aと別れた。仙台までGと一緒に帰り、Gと仙台でいつものラーメン屋に行った後、近くのカフェで将来の話などした後別れ、帰路についた。天国みたいな場所からの帰りなので、その時は憂鬱だったが、他の地域で研修している今はすぐに大船渡に帰りたくなってしまう。不思議なものだ。

ローマ史を辿って

ここ最近、「ローマ人の物語I」という本を読んでいる。
さて、これから書くものはただの感想に過ぎない。感想文等というものはちょっと書き綴ったところで、その本から得られる知見には遥かに及ばないだろう。
これは自身が読んだことを反芻するためのもので、それ以上のものではない。
テヴェレ河の流域に誕生したローマという都市はその当初、エトルニア人など近隣の民族が建設した都市と比べると、遥かに文明的にも経済的にも劣ったものだった。この都市が他の都市を脅かすほどに成長した原因は地勢的に魅力の薄い場所で干渉するに及ばないとみなされたからだろう。
「ローマ人の物語I」では初期の王政から共和制に到るまでの歴史が語られている。初期の王政の間、ローマは他国の人間を自国民として受け入れ、場合によっては要職の地位も提供するなどをして、国力を高めていった。これはローマが成長していく上でかなり重要な要因であったことは疑う余地がない。
政体の推移を観察してみよう
民主主義の現代においては王政というシステムは過去のものであり評価されることはあまりない。しかし、王政は意志決定の速さからトップが優れた能力を発揮する限りは未発達の文明を昇華させていくには効率的なシステムであるともいえる。
ローマの発展に寄与した王政というシステムはある時期に共和制へと移行している。王政が終了したのはその代の王が市民の信頼を勝ち得なかったというのが一番の理由だが、その後の共和制が受け入れられた理由としては、定期的に市民に信を問う共和制の方が市民の信頼を得られるため政体は安定しやすいからではないだろうか。
初期のローマの政体は未熟な都市には偉大なリーダーを必要とし、成熟した都市(国家)には民主主義が相応しいことを体現している。しかし、ローマはこの後何度か王政を経ることになる。その経緯は如何様なものなのか。これから先のエピソードを読むにあたって注目したいところだ。

気仙沼観光(2)〜仙台に帰るまで〜

バスに揺られて経つこと2時間でようやく気仙沼に到着した。

気仙沼では自転車を借りて海の市方面を散策した。海の市へ向かう途中には震災で廃線となった気仙沼線のレールが残っていて、かつての光景を彷彿とさせた。

海の市では海鮮丼を食べてシャークミュージアムなど有料のエリアを除いて一通り見た後その場を後にした。

その後は大島への定期船がある港や市役所の方を通って、気仙沼駅まで戻った。大島へのアクセスは近々橋が開通することでその役目を終えるようだ。

市役所には池袋行きの高速バスの停留所があり、毎日通学でラッシュに揉まれながら通っていたあの街とこの地が路線バスで繋がっていることを実感して何ともいえない気持ちになった。

気仙沼からは大船渡線に乗って一関を経由して仙台まで帰った。大船渡線はドレゴンレールという愛称で呼ばれている。これは一関から気仙沼までの線形がうねっていて龍のように見えることが由来だとのことだ。線形がうねっている理由は沿線出身の政治家らによる誘致合戦の結果、それら全てを通ろうとしたために生じたそうである。