沖縄旅行

沖縄に行くのは今年で2回目だ。社会人になってからは忙しくなるのであまり旅行には行かなくなるかもしれないとは思っていたが実際には休みを取って3連休にして旅行に行っている。沖縄は同じ日本とは思えないくらい生態系も街の雰囲気も違ったりするので本州の田舎を巡るより個人的には楽しい。冬場は本土との気温差も高く、冬〜春の沖縄の方が別天地にきた感覚は強い。ついでに飛行機代もホテル代もオフシーズンのため安く抑えられることも魅力的だ。

今回は金曜日を休みにした上で2泊3日で友人と沖縄本島に行った。仙台ー那覇便は夏は人気路線で直前にとったこともあって飛行機代は高くついてしまった。2時間かけて自宅から仙台まで急ぎ目で向かい、仙台空港では保安検査場を30分前くらいに通過。搭乗口前で仙台在住の友人Gと合流した。ANA便には久しぶりに乗ったが座席前に着いているモニターで最近の映画も見れる(しかも画質は悪くない)様だったので、行き帰りですずめの戸締りをみていた。那覇空港に着いたらまずは車を借りて、シェーキーズでご飯を食べた後空港に戻り、秋田、山形から来た友人K、Aと続けて合流した。それから沖縄で研修していたYが浦添付近で待っていたので、そこで合流。そのまま恩納村のホテル近くまで行き、地元の居酒屋で夕食を食べた。その後ホテルでチェックイン。割と新しめのホテルで、客室も豪華だった。

2日目は午前中、だらだらと客室で過ごしてスマブラしたりしたらKに折角沖縄に来たのにもったいなくね!って言われ、昼くらいからビーチに出かけた。残波岬で普通に海水浴したり、ボートに乗って競争したり、海の生き物の観察をしたり悠々と思いのままに過ごしていた。海に浮かんでゆらゆらしている時間は至福のひと時だった。

その後ホテルに戻り、プールで遊んだりしているうちに夕方になったので、その後はアメリカンビレッジにでかけた。日本に居ながら異国情緒を味わえるところで色々店を物色したあとはバーガー屋で夕食を食べた。

僕の住んでいた街にもバーガーハーツという素敵な店があったなあと思い出しつつ、何を食べて、話したかも忘れてしまったが楽しいひと時を過ごした。帰り際に路上で演奏していたダイナミック琉球という初めて聴いた素晴らしい曲に聴き入ってしまった。帰ったあと客室でボードゲームをしたかったが、すでに疲れていたためすぐに寝てしまった様な気がする。

3日目は帰るだけだったがKが早めに帰らないといけなかったため、ホテルを出るとすぐに那覇空港に向かった。道中しきりに時間を気にしているKは面白かったが、遅れたら洒落にならないのは確かだった。もちろん、無事に間に合い、その後はレンタカーを返した後そのまま空港に戻り、沖縄そばを食べたあと、Aと別れた。仙台までGと一緒に帰り、Gと仙台でいつものラーメン屋に行った後、近くのカフェで将来の話などした後別れ、帰路についた。天国みたいな場所からの帰りなので、その時は憂鬱だったが、他の地域で研修している今はすぐに大船渡に帰りたくなってしまう。不思議なものだ。

ローマ史を辿って

ここ最近、「ローマ人の物語I」という本を読んでいる。
さて、これから書くものはただの感想に過ぎない。感想文等というものはちょっと書き綴ったところで、その本から得られる知見には遥かに及ばないだろう。
これは自身が読んだことを反芻するためのもので、それ以上のものではない。
テヴェレ河の流域に誕生したローマという都市はその当初、エトルニア人など近隣の民族が建設した都市と比べると、遥かに文明的にも経済的にも劣ったものだった。この都市が他の都市を脅かすほどに成長した原因は地勢的に魅力の薄い場所で干渉するに及ばないとみなされたからだろう。
「ローマ人の物語I」では初期の王政から共和制に到るまでの歴史が語られている。初期の王政の間、ローマは他国の人間を自国民として受け入れ、場合によっては要職の地位も提供するなどをして、国力を高めていった。これはローマが成長していく上でかなり重要な要因であったことは疑う余地がない。
政体の推移を観察してみよう
民主主義の現代においては王政というシステムは過去のものであり評価されることはあまりない。しかし、王政は意志決定の速さからトップが優れた能力を発揮する限りは未発達の文明を昇華させていくには効率的なシステムであるともいえる。
ローマの発展に寄与した王政というシステムはある時期に共和制へと移行している。王政が終了したのはその代の王が市民の信頼を勝ち得なかったというのが一番の理由だが、その後の共和制が受け入れられた理由としては、定期的に市民に信を問う共和制の方が市民の信頼を得られるため政体は安定しやすいからではないだろうか。
初期のローマの政体は未熟な都市には偉大なリーダーを必要とし、成熟した都市(国家)には民主主義が相応しいことを体現している。しかし、ローマはこの後何度か王政を経ることになる。その経緯は如何様なものなのか。これから先のエピソードを読むにあたって注目したいところだ。

気仙沼観光(2)〜仙台に帰るまで〜

バスに揺られて経つこと2時間でようやく気仙沼に到着した。

気仙沼では自転車を借りて海の市方面を散策した。海の市へ向かう途中には震災で廃線となった気仙沼線のレールが残っていて、かつての光景を彷彿とさせた。

海の市では海鮮丼を食べてシャークミュージアムなど有料のエリアを除いて一通り見た後その場を後にした。

その後は大島への定期船がある港や市役所の方を通って、気仙沼駅まで戻った。大島へのアクセスは近々橋が開通することでその役目を終えるようだ。

市役所には池袋行きの高速バスの停留所があり、毎日通学でラッシュに揉まれながら通っていたあの街とこの地が路線バスで繋がっていることを実感して何ともいえない気持ちになった。

気仙沼からは大船渡線に乗って一関を経由して仙台まで帰った。大船渡線はドレゴンレールという愛称で呼ばれている。これは一関から気仙沼までの線形がうねっていて龍のように見えることが由来だとのことだ。線形がうねっている理由は沿線出身の政治家らによる誘致合戦の結果、それら全てを通ろうとしたために生じたそうである。

気仙沼観光(1)〜気仙沼到着まで〜

青春18切符が1日分余ったので4/1に仙台から日帰りで気仙沼へ行ってきた
気仙沼は宮城県の中でありながら相当行きにくい場所だ。かつては気仙沼線が石巻線の前谷地駅から気仙沼駅まで通っていて仙台からの直通列車もあったが、東日本大震災によって路線は壊滅してしまった。現在はBRTによって復旧がなされたが仙台からの所要時間は4時間以上になり、大船渡線経由の方が速いくらいになってしまった。一方で三陸道の整備が進んで高速バスの便は良くなったので、今後の気仙沼への主要ルートは高速バスに限られていくだろう。
まず仙台から仙石東北ラインに乗って石巻へ行った。石巻へは今まで何回も行ったことがあるが、JR石巻駅へ来たのは初めてだったので周りの景色は新鮮だった。

その後、2両編成のキハ110に乗って気仙沼線の起点である前谷地駅へ向かった。前谷地からは一両編成のキハ110で終点の柳津駅まで乗った。キハ110は首都圏だと非電化の木更津線や八高線でしか見られない車両だが、東北地方では非電化の路線が多いため随所で見られる光景だ。

柳津駅から先は鉄路が無くなってしまったのでここからはBRTで気仙沼まで向かうことになった

BRTはかつての鉄路の跡をBRTの専用道として利用することで45号線の渋滞に関わらずにダイヤの遅延を減らすというコンセプトらしいが実際には専用道を走ることよりも45号線を走ることの方が多くBRTという名前は特に意味はなくただのバスに過ぎないと感じた。1時間半乗車すると南気仙沼の市街に近づいてきた。バスの窓からは大規模なイオンなどが見えて街の規模がそれまでに通った本吉や志津川と比べて格段に大きいことを感じさせた。

常磐線乗りつぶし(岩沼→日暮里)

震災が終わってから7年経ち、不通区間も浪江〜富岡のわずか4駅となった。その残された不通区間も30分代行バスに乗車することによって通過することも可能になり、仙台〜東京を普通列車で8時間で往来することが可能となった。
今回は仙台から東京までの移動のついでに復活した常磐ルートを通ることにした。

仙台からは原ノ町行きに乗車し、原ノ町駅で北側の終点、浪江行きに乗り換えた。原ノ町駅は一年前に来ていて、その時に通った駅の東側と西側を結ぶ跨線橋を再び通って駅の外景を撮った。

浪江駅では代行バスの案内があった。それによると1日5.5往復らしい

代行バスでは写真撮影が禁止のため、福島第一原発のクレーンや使われてないガソリンスタンドや飲食店などを目にしたもののカメラに収めることはしなかった。途中一時的に線量が高くなった場所があり原発の近さを感じた。
富岡駅では駅に新しく併設したコンビニで食事を買ってそれをイートインで食べながら電車の到着を待った。イートインにはテレビがあり、女子レスリングのパワハラ問題を報じていてぼんやりとそれを眺めていた。

やがてやってきた列車に乗った。この列車は水戸行きだったが、友人がかつて住んでいた日立という街を見てみたかったこともあり、日立駅で降りた。日立駅はガラス張りになっていて、海が見渡せる形になっていた。

日立駅周辺を散策して駅にある海を見渡せるカフェで少し休んだ後、再び電車に乗り水戸駅を目指した。
水戸では駅ビルでラーメンを食べて、その後は千波公園を経由して偕楽園を見に行った。

偕楽園は日本3大庭園に数えられる有名な公園らしい。今はちょうど梅まつりをやっていたので、満開になった梅の花を眺めてきた。

それから混雑したバスに乗って水戸駅に戻ってきた。その時に駅の北側は結構栄えているとわかったのでまた来ることがあったら今度は駅の北側を散策したいと思った。
水戸からはグリーン車にのって快適に東京まで移動して常磐線の旅は終わった。

常磐線駅探訪(1)〜逢隈駅〜

今日は大回り乗車でリゾートみのり号に乗る予定だったが、仙台駅で指定席が満席であることを知って、急遽予定を変更して常磐線の旅にでることにした。

行き先は電車の中で考えていたが、あまり遠くに行きすぎると交通費が嵩むことも考えて結局岩沼駅から一駅離れた逢隈駅を訪問することにした。


逢隈駅は亘理町にある小さな無人駅だった。着いたらまず朝ごはんを食べてなかったので早めにランチを取ろうと思って周囲にいい店がないか探したら駅から近いところによさげな場所をみつけたのでそこでパスタを食べた。なかなかいい店だったのでまた来ることがあったらその時も訪れたい。

次に平安時代の遺跡、三十三間堂官衙遺跡を訪れた。


遺跡にはわかりやすく遺跡であることを示唆するものがなく、遠い昔にあったものを各々の想像で臨む場所なのだと感じた。
それから、阿武隈川の土手を歩いて槻木駅を目指した。

阿武隈川は一級河川で川幅が広く雄大な景色が広がっていた。

柴田町へ続く橋の上では記念碑があった。それによると
新古今和歌集や古今和歌集では阿武隈を詠んだ歌がいくつかあるらしい
「君にまた阿武隈川を待つべきに残り少なき我ぞかなしき」
「阿武隈に霧立ち曇り明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし」
橋を渡ると町が広がっていてほどなく槻木駅についた。すぐにやってきた列車に乗って帰路に着いた。

仙石線駅探訪(2)〜陸前浜田駅〜

松島海岸と東塩釜の間にある陸前浜田駅に行ってきました
ここは隠れた松島観光スポットで瑞宝ヶ丘や馬の背などがあります。今日は出かけた時間が遅く日が暮れかけていたので瑞宝ヶ丘まで行った後そのまま引き返してきましたが、また別の機会に来ようかと思います。

瑞宝ヶ丘までは人家のない舗装された山道を歩いていきます。

道中では遠くに塩釜の街を臨むことができます

仙石線駅探訪(1)〜野蒜駅〜

東松島市にある野蒜駅に行ってきました。

この駅を含む仙石線の区間は震災の影響で長い間動いていませんでしたが、2015年に高台に駅を移転して復活しました。以前の駅舎はファミリーマート併設の震災伝承館として使われており、駅のホームは当時のままになっています。

駅に着いてから南に行く方法をグーグルマップで見たところ、ルートがなく、北側から遠回りをして行くしかないと思っていたら、マップにはない地下のバイパスができていました。

目的の野蒜海岸までは震災伝承館を経由して行きました。

野蒜海岸は東北の伊豆とも呼ばれる綺麗な海岸ですが、震災によって、海水浴場は使えなくなっています。しかし、海岸に漂着したゴミは地道な清掃活動によって除かれ、今では以前のような綺麗な海岸に戻りつつあります。


海岸の風景を十分楽しんだので、再び歩いて野蒜駅まで帰りました。本当はレンタサイクルを使おうと思っていたのですが、駅前の観光案内所にはまだ配備されていないとのことだったので歩いていける範囲の散策になりました。次回の訪問時には自転車で宮戸島方面に行ってみたいと思います。