ここ最近、「ローマ人の物語I」という本を読んでいる。
さて、これから書くものはただの感想に過ぎない。感想文等というものはちょっと書き綴ったところで、その本から得られる知見には遥かに及ばないだろう。
これは自身が読んだことを反芻するためのもので、それ以上のものではない。
テヴェレ河の流域に誕生したローマという都市はその当初、エトルニア人など近隣の民族が建設した都市と比べると、遥かに文明的にも経済的にも劣ったものだった。この都市が他の都市を脅かすほどに成長した原因は地勢的に魅力の薄い場所で干渉するに及ばないとみなされたからだろう。
「ローマ人の物語I」では初期の王政から共和制に到るまでの歴史が語られている。初期の王政の間、ローマは他国の人間を自国民として受け入れ、場合によっては要職の地位も提供するなどをして、国力を高めていった。これはローマが成長していく上でかなり重要な要因であったことは疑う余地がない。
政体の推移を観察してみよう
民主主義の現代においては王政というシステムは過去のものであり評価されることはあまりない。しかし、王政は意志決定の速さからトップが優れた能力を発揮する限りは未発達の文明を昇華させていくには効率的なシステムであるともいえる。
ローマの発展に寄与した王政というシステムはある時期に共和制へと移行している。王政が終了したのはその代の王が市民の信頼を勝ち得なかったというのが一番の理由だが、その後の共和制が受け入れられた理由としては、定期的に市民に信を問う共和制の方が市民の信頼を得られるため政体は安定しやすいからではないだろうか。
初期のローマの政体は未熟な都市には偉大なリーダーを必要とし、成熟した都市(国家)には民主主義が相応しいことを体現している。しかし、ローマはこの後何度か王政を経ることになる。その経緯は如何様なものなのか。これから先のエピソードを読むにあたって注目したいところだ。